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死について考える

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みなさん、こんにちは。

みやじいです。

 

両親の死に立ち会って感じた虚無感

私の両親は、父が4年前、母が3年前に他界しており、二人とももうこの世にはいない。

父のときは死に目に会えることができたが、母のときは息絶えたあとだった。

母が危篤だと弟から連絡が入り、駆け付けたときはもう遅かった。

 

いずれにしても、肉親が死ぬということは大きな出来事だったし、覚悟はしていたものの、「死」というものを身近に体験することで、言いようもない虚無感に襲われた。

 

悲しみももちろんだが、自分もいつかは死ぬときがくるんだなという実感がわいて

きて、そのときは深く考えさせられた。

 

人は死を遠ざけて生きている

人間は死ぬことが分かって生きている。

将来自分が死ぬことを理解しているのは、動物のなかでも人間だけらしい。

それでも健康であれば、人は日常、死ぬことから意識を遠ざけている。

というより死が怖いから、考えないようにしていると言ったほうが正解かも知れない。

 

 死を意識したとき、人生の有限を強く感じる

若いころは、ほとんど死というものを意識したことはなかった。

しかし、この歳になると人生の終盤にさしかかっていることをいつも考えてしまう。

だから、砂時計の砂がだんだんと残り少なくなるような感覚を覚え、一日一日がとても

貴重に思えてくる。

 

たとえば、いい本を読みたいと思っても、残りの人生であと何冊の本を読むことが

できるのかと思うと、ためにならない本を読むのは時間の無駄に思えてならない。

もし、あなたの残りの人生であと10冊しか本が読めないと分かったら、必死でいい本

を探すだろう。

 

特に歳を重ねてくると、人生は有限ということを痛切に感じるから、一日一日を大切に

生きようと、最近は強くそう思う。